人生栗色

観たり読んだり考えた記録

『女性だけの街』に関するあれこれ

「女性専用の街に住みたい」という呟きに対しての議論を未だにTwitterで見かける。その度にモヤモヤすることにも疲れたので一度自分の考えをまとめておきたいと思う。

世間では「インフラはどうするのか」などの具体的な街の運営にまで想像を飛躍させて激論が交わされているけれど、それはちょっと議題として進みすぎていると思う。

そもそも「女性専用の街に住みたい」という一人の疲弊した女性の空想ツイートに対して、「じゃあそこから一生出て来ないでください」「力仕事も男に頼るなよ」「インフラ整備はどうするの?まさか男にさせないよね?」という喧嘩腰のリプライが付くこと自体がおかしいだろうという話である。

立場を逆にして考えてみてほしい。とある一般男性が「男性専用の街に住みたい。そうすれば満員電車で手を挙げなくて済むし女性から力仕事を押し付けられないし人目を気にせず薄着で出歩けるのに」と呟いたとしよう(こうして具体例を考えると男性が女性に対して命を脅かされるような恐怖を感じることってほとんどないのだなと思い知らされる)

それに対する女性からの反応は恐らく「いつも苦労しているんだね」「女性関係で嫌な思いをしたんだね」という同情や気遣いが多くを占め、「女性を一緒くたに否定している!排除している!」と感じる人はほとんどいないだろうし、男性VS女性の構図にはならなかったと思う。

勿論過激な人はどこにでもいるので一部から非難の声は上がるかもしれないが、今回の「女性専用の街」に対しては一部どころではない多くの男性が否定的な反応を示したので、多くの女性は驚いたし恐ろしいと感じたのだ。

以前『痴漢防止バッチ』が話題になったときに見かけた意見で納得したものがある。

“住宅街を歩いているときに『監視カメラ設置中』と書かれた家があったとしても「無関係の自分まで泥棒だと疑われている!」と感じる人はいないし、よほど意地悪でなければ「大した家でもないくせに」とも思わず素通りできる。

それが『痴漢防止バッチ』になると、「無関係の自分まで性犯罪者だと言われている気分になる」「大した美人でもないくせに」と、途端に素通りや見て見ぬふりを出来ない男性が増える。”というものだった。

今回の話題にも通じるものがあると思う。

おそらく男性は、“男”という性別に誇りを持っているから、性別自体を否定されることを極端に嫌っているのではないだろうか。

だから「性犯罪を行う者がいるから善良な自分たちまで警戒されるのだ」と同じ男へ憤りを向けるのではなく、「性犯罪者と善良な自分たちの区別がつかない女が悪いのだ」という被害者意識と男同士の連帯感が先に来てしまうのかもしれない。

一方女性はそういったホモソーシャルの煽りを受けることに悲しいかな慣れてしまっている場合が多い。

幼少期から「女にはわからない世界」「やっぱり男同士の友情が最高」と排除されることは少なくないし、それ以外にも直接的な表現で“女”という性を否定されても「また男たちがなんか言ってるよ」と受け流せるスキルを身に着けてしまっている人も多い。

だから仮に「男性専用の街に住みたい」と主張する男性がいたとしても同情こそすれ被害者意識なんか持ちようがないし、その男性の周りにいるであろう“迷惑な女性”と“自分”は性別は同じでも無関係なのだときっちり線引き出来るドライさがある。

「女性専用の街」ではなく「性犯罪者のいない街」と表現する配慮があれば、という意見も見かけたけれど、それもちょっと違うかなと思う。(そもそも精神的に追い詰められている状況でなお男性への配慮を強いられる国とは……)

「女性は身の回りにいる全ての男性に対して『少し嫌い』な状態からスタートしている」という言説があるが、あれは多分真実だ。

自分とは違い体が大きく力の強い生き物に対する本能的な恐怖感が生理的嫌悪感に繋がっているのだと思う。

その少し嫌いな状態から人間関係を築いていき、信用したり尊敬したり好意を抱いたりして、“嫌いではない男性”を増やしていく。

それでも“少し嫌い”な男性が圧倒的に多く存在する現実に疲れてしまうことだってある。性犯罪に巻き込まれた人ならなおさらだ。

それなら生理的に“嫌いではない”、本能的に“恐ろしくない”女性だけの街に逃げたいと思う日があっても仕方のないことだろう。

今回の騒動を見ていて私はこうまで男と女は考え方の違う理解し合えない生き物なのかと絶望した。

それでも、理解し合えないならし合えないなりに自分とは“違う”ことを受け入れて受け流すスルースキルを身につけられればいいのにと思った。