人生栗色

観たり読んだり考えた記録

実写化は百利あって一害なしという話

“実写化”と聞くだけで身の毛がよだつ2次元ヲタクも多いだろう。
でも1回冷静になって考えてみると実写化することで損してる人誰もいなくね?ということに気付く。
まず前提として認識しておいた方が身のためになるのは、実写化は原作ファンのためのものではなく新規顧客開拓のためのものであるということだ。
監督やら制作やらが「原作ファンにも納得のいく作品に」と言うのはプログラミングされたテンプレ台詞と思って聞かなかったことにする方がいい。
原作ものを実写化する理由なんてただ一つ、お金儲け一択だ。
無料で楽しめるコンテンツが豊富にある現代の日本において娯楽産業は衰退する一方なんだと思う。
邦画なんて制作費もろくにない中で一から面白いものを作るのは相当困難だろう。近年のヒット作連発は奇跡に近い。
そこで今日本の娯楽業界が縋っているのが実写化コンテンツなのだと思われる。
実写化は話題性もあるし動員数も稼げるから娯楽産業の命を繋ぐのに手っ取り早かったのだろう。
そんな金儲けのために好きな作品を利用されるなんて許せないと思う原作ファンも多いと思う。気持ちはわかる。
しかしお金儲けのため、が果たして悪いことなのだろうか?というとそうでもなかったりする。
まず実写化が成功しようとしまいと原作者にはお金が入る。これは間違いない。素晴らしい原作の生みの親にお金が入ることはファンとしても異論がないはず。
次に原作を知らずに実写作品を見に行った中から必ず原作に興味を持つ人が出てくる。これが大きい。
出演者のファンでマメなタイプなら予習のために原作を買うという人もいるだろう。
そこで新参者を威嚇してはいけない。「原作ファンが怖いから近寄らんとこ……」と思われたらジャンルを衰退させ自分の首を締めるだけだ。
人間何がきっかけで沼に落ちるかわからない。実写化をきっかけに原作の大ファンになるという人だって少なくないだろう。昨日の敵が明日の友になるかもしれない。
でもそしたら既存の原作ファンは蔑ろにされるばかりでは?と感じるかもしれないが落ち着いてほしい。
実写化されることにより大好きな原作の新規絵を作者が描き下ろしてくれる可能性、高くない……?これが何よりの御褒美にならないか……?
そもそも原作ファンにとっては原作の面白さや価値が揺らぐことがない。実写化という二次創作の出来不出来なんか自分の中の原作観に何の影響を及ぼすこともないだろう。
唯一無二は原作。その原作の、実写化がなければ描かれることがなかったであろう新規絵を、見られるきっかけが生まれた。
もうそれだけで大事件ではないのだろうか……大好きな原作の新規絵ほど嬉しいものなくない……?
実写化なんて原作の壮大なコスプレ広告と思って、面白かったら儲けもんくらいに考えておいた方が精神衛生上良いし楽だ。
たとえ大コケしようがそのせいで原作もつまらないのだろうと短絡的結論に至る人なんてほとんどいないと思う。
せいぜい「あの実写化作品コケたんだって」「原作ファンから叩かれてたもんな」くらいのものだろう。原作の価値が下がることはない。
作者自身が「原作レイプだ!」と怒ったり声を上げたときにこそファンが味方になってあげればいいと思う。
実写化ガチャはほとんどドブかもしれない。でもそこに課金することで経済が回り日本の娯楽産業が支えられていると思えば決して無駄じゃないはずだ。多分。
だからそこまで目くじら立てて敵視しなくてもいいんでないかなーと思ったりする呑気なヲタクの独り言であった。

2次元でも3次元でも人が真剣に作ったものはどこかしら好きになれる部分があるからそこだけ美味しくいただいちゃうのが一番いい。

そろそろゲイをネタ扱いするのはやめないか

 

須賀健太、ゲイ疑惑否定

友人で、俳優の加藤諒は既に写真集をゲット。上半身あらわのショットに「これ、いいの?」と、からかわれたと言う。リポーターから「加藤に狙われているのでは?」との問いに「それはないです。一時期言われてましたが。女性が好き」と否定した。(記事より抜粋)

 

もう本当に。

日本のマスメディアはこんなしょうもない見出しの付け方をして恥ずかしくないのだろうか。

今2017年だよ?

ゲイやオネエを笑いのネタとして扱う前時代的なノリをいつまで続ける気なの?

 

記者や司会者が俳優やアイドルなどに「君はソッチの人なの?」と聞く。

聞かれた方は「違いますよ!」と否定する。

その様子を見て外野がケタケタと笑う。

 

もうこんな馬鹿げたテンプレはいい加減見飽きた。

飽きろよ。メディアも。いつまで昭和初期に取り残されてるんだよ。昭和初期のことは知らんけども。むしろ江戸時代に立ち返れよ愚か者ども。

 

同性愛者か異性愛者かはその人の持った個性の話にすぎない。

ちょっと置き換えて考えればわかることだ。

異性愛疑惑』などという見出しをわざわざつけるのか?

俳優と仲の良い女優さんの名前を出して「○○さんから狙われているのでは」なんて失礼な聞き方が出来るのか?

多数派と少数派でインパクトが違うから…と言うのなら、じゃあ『須賀健太AB型疑惑否定!』なんてわざわざ記事にするのか?と聞きたい。

そういう次元の話を“ネタ”として扱っている馬鹿らしさにそろそろ気付いてくれ。

 

日本のバラエティもマスメディアも圧倒的に遅れているのはもう仕方ない。

ただ、今後そういった場に出る機会が増えるかもしれない若い俳優やアイドルたちには「決して染まるなよ」と伝えたい。

 

かつて記者からゲイやバイではないかという噂について聞かれたキアヌリーブスの言葉はあまりにも有名だ。

 

“僕がその噂を否定するのは簡単だ。

けれどそんなことをすれば僕はゲイやバイであると思われたくないということになるだろう?

それはひとつの差別意識の表れだよね。

「ゲイだと思うなんて酷い、バイだと決めつけるなんて失礼だ」と考えること自体が、実はひどく差別的なんだから。

セクシャリティにかかわらず、僕は僕だよ。

僕の俳優としての評価は、セクシャリティとは無関係だ。

だからその質問に対する答えはたった一つ、『ノーコメント』だよ。”

 

ここまでスマートな返しをしろとは言わない。

何より“場の空気”を重んじる日本でこう返したらきっと「何マジレスしてんだよww」と更に馬鹿にされることが目に見えているし(それも頭の痛い話だが……)

ならばせめて「男性ファンもいるので」とか「老若男女関係なくモテたいです」とか否定も肯定もせず冗談っぽく流せる返しの一つや二つ覚えておいてもいいと思う。

 

Hey!Say!JUMPの伊野尾くんのエピソードで好感が持てたものがある。

コンサートのMCで「男が好き」という発言をし、後日ラジオでそのことに言及され、他のメンバーから「否定してほしい」と言われた伊野尾くん。

それに対して「好きだよ、男!みんな好きだから!だってアイドルなんだから、みんなに愛されたいじゃん!」と返したそうだ。

現代を生きるアイドルとして100点満点の答えだなと感心しきりだった。

 

世の中は異性愛者だけのものではない。

雑誌インタビューなどで散見される『好きな異性のタイプは?』という質問も、需要が限定的すぎるのではないかと違和感を覚える。

ファンの中にだって同性愛者やその他数多のセクシャリティの人間がいるはずで、その人たちにも異性愛者と同じだけ推しへの夢を見る機会が与えられてしかるべきだ。

 

頭の固いオジサンオバサンたちはもう放っておこう。

若い世代で少しずつ「それサムイっすよ」という空気を浸透させていこう。

若手俳優よ、アイドルよ、その他モデルでもミュージシャンでも、夢を与える職業の人たち全てへ。

色んな悩みを持った色んなセクシャリティの人間が、貴方たちを希望だと思って応援しています。

日本のメディアを少しずつ、良い方へ変えていってくれ。

 

芸能ヲタがカノバレを嫌う心理

 

好きな芸能人のスキャンダルを喜ぶヲタクなんてほとんど居ませんよね。

でも熱愛発覚を嘆くヲタクに対して「自分が付き合えるとでも思ってたのかよww」という的外れな言葉をかける一般人は毎回必ずどこにでも現れます。

その度に「違うそうじゃない」とヲタクは否定しますが、なかなか理解してもらえないし、自分でも心のモヤモヤの理由がわからないという人も多いと思います。

しかしながら私は、そのファン心理は実にシンプルなものだと考えています。

 

今まで“誰のものでもない”“みんなのもの”だった芸能人が、急に“誰か一人のもの”になってしまう淋しさや“誰かのことだけを特別扱いしている”状態になる不公平感からくる不満にほかならないのではないでしょうか。

 

ひとくくりに芸能人のファンと言っても様々な人種がいて様々な応援スタンスがあります。

・「自分を知ってほしい」「特別扱いされたい」ガチ恋夢女子勢

・「お仕事第一主義であってほしい」「人間性を尊敬したい」崇拝信仰勢

・「誰と誰が仲良くキャッキャしているのに萌える」妄想腐女子

などなど。

 

そんな数多のファン層や需要があるのだから、恋人の存在が発覚することで思い描いていた偶像が崩壊して今まで通りに応援できなくなる人が多くなるのも不思議ではありません。

お仕事をしている姿だけを好きでいればいいという意見もあるかもしれませんが、SNSやドキュメンタリー等の発信が盛んな昨今、人となりも含めて商売道具になっていることがほとんどだと思います。

そういった様々な角度からファンになったヲタクたちの多種多様な需要に幅広く応えられるのが、“誰とも付き合っていない”“身綺麗な状態の”芸能人なんだと思います。

 

とは言え芸能人だって人間なのだから恋愛をしたいというのもわかります。

それなら徹底的に隠せばいいのです。

勿論「ありのままの自分を応援してほしいから」と恋愛事情を大っぴらにするのも自由です。

そういった振る舞いをしてもファンを逃がさないだけの実力があり、仕事が減らない自信があるのであれば、という前提にはなってしまいますが。

やはり一度もファンを不安にさせることのないまま卒業・引退したり、ある程度の年齢になって正式な結婚報告をするのが一番円満に祝福される構図ではないかと考えます。

もしくはスキャンダルなど雑音にしかならないほど突き抜けた売れっ子になってしまうか……。

 

どちらにせよ自分が売り物であるという覚悟が必要な職業であり、華やかさと過酷さが表裏一体の世界だなと思います。

綺麗な夢を見せ続けてくれる芸能人にはきちんと感謝したいですし、報われてほしいと心から願っています。

 

 

るひまに推しが出ると幸せになれる7つの理由

 

今年はるひまさんの年末明治座が帰ってきますね。

いよいよキャスト発表の日程も近付いて参りました。

そこで今回はるひま未経験の方にプレゼンする用のブログを綴りたいと思います。

るひま沼は楽しい、楽しいけれど一言では説明しにくい。

ヲタ友と話していて何度かそんな場面があり、一度はまとめておきたいと考えていました。

不慣れなため拙い紹介になるかもしれませんが、お付き合いいただけたら幸いです。

 

まず“るひま”とはなんぞやという話からですが、『る・ひまわり』という制作会社の略称であり愛称です。

検索すると“演劇・映画・イベントなどの企画、制作、運営、宣伝をする会社です。”と出てきます。

そんなるひまさんが手がけている数々の作品の中でも特におすすめしたいのが、通称“祭シリーズ”と呼ばれる舞台作品です。

2011年からほぼ毎年、年末か新春のタイミングで上演されており、ここ数年は明治座での公演がお決まりとなっています。

 

結論から言うと、るひまの祭シリーズに好きな役者が出るとめちゃめちゃ楽しいです。

人生の質が向上すると言っても過言ではありません。

その理由をいくつか述べていきたいと思います。

 

其の一『内容が面白い』

祭シリーズは便宜上“シリーズ”と呼称しているものの、連作や続き物というわけではないので初めての方もご安心ください。

毎年きちんと新しい演目が用意され、出演するキャストも様々です。

舞台は二部構成となっており、一部は歴史を題材にした時代劇作品、二部は歌と踊りのショータイムが上演されます。

時代劇作品と聞くと堅苦しいものを想像するかもしれませんが、元々は『戦国鍋TV』の派生舞台ということもあり全くそんなことはありません。

時代設定ではありえない横文字を当たり前のように喋り出したり、その年に流行したギャグが飛び交ったり、パロディ楽曲でミュージカルを始めたり、テニスラケットを振ったりと何でもありです。

ふざける場面ではふざけ倒し、客席が笑いに包まれます。

それでいてシリアスな場面では涙を誘い、最後には何かしら胸に残るようなテーマ性のある物語となっていて見応えは十分です。

また、二部のショータイムではキャストがそれぞれアイドルユニットやアーティストグループを結成し、どこかで聞いたことのあるようなパクリパロディ楽曲を歌い踊ります。

ここではペンライトや団扇での応援も許可されており、明治座がさながらコンサート会場と化します。

本格的な芝居や殺陣をする推しも、笑いの腕を試される推しも、キラキラ歌い踊る推しも、他の出演者と楽しそうにきゃっきゃする推しも、一度に堪能できる贅沢な舞台です。楽しくないはずがありません。

“祭”と銘打たれているだけのことはあり、見所が盛り沢山です。

 (ショータイム楽曲例/出演:杉江大志、林剛史、兼崎健太郎、上口耕平、中村龍介)

 

其の二『推しが成長する』

祭シリーズには若手俳優だけでなくさまざまなフィールドで活躍する人物が30人弱集められます。

ベテラン俳優勢が作品の軸をどっしりと支え、小劇場で活躍する面白おじさんたちが場を盛り上げ、時に宝塚出身女優さんや、ミュージカル界で活躍する実力派、お笑い芸人さん等も出演し芝居の幅を広げます。

更に演出をされているのが愛ある厳しさで有名な板垣恭一さん。観客を笑わせるために役者は苦しまないといけないということを教えられ、甘い考えでは振り落とされてしまうような、若手が焦りを覚える稽古場に毎回なっているようです。

周りには師となる人がたくさん居て、生半可な覚悟では舞台に立てないことを学べる上質な環境で、若手の役者たちは一皮も二皮も剥けて成長していきます。

現に、るひま作品に出演していた若手たちは次々と人気俳優となり引っ張りだこ状態の人も多いです。

若手を成長させる土壌が整っているのも推しに出演してほしい大きなポイントになると思います。

 

其の三『準備期間も楽しい』

年末の祭シリーズは東京で3~4日間、大阪で1日間という少ない公演期間であっという間に終幕してしまいます。

しかしながら楽しみは公演中だけではありません。

まず、一部が時代劇ということもあり、事前にその作品にまつわる名所を巡るバスツアーが開催されます。

その年の作品に出演する役者数名がガイド役となり、歴史のお勉強会も兼ねて参加者とお寺や城を巡ります。

作品の予習もできるし、好きな役者には会えるし、なんとも画期的な企画。

次に、二部のショータイムに向けて各ユニットのミュージックビデオが公開されます。

たった数日間の公演のためにわざわざユニット曲のPV撮影をしてくれるんです。しかも無駄にクオリティが高い。

意味がわかりませんよね? これがるひまが沼たる所以です。

面白いものを作ることに妥協がありません。めちゃめちゃエンターテインメントしてくれます。

ちなみにその年のユニット曲が全曲入ったCDがS席特典として無料配布されます。太っ腹が過ぎる。

(ミュージックビデオ例/出演:安西慎太郎、中村龍介井深克彦大山真志)

 

其の四『カウントダウン公演がある』

カウントダウン公演があるんです。大晦日に。年越しの瞬間を劇場で迎えることができます。

歴代るひま作品の劇中歌やユニットソングが披露されるコンサート形式が馴染んできましたが、一度だけカウントダウン後にがっつり4時間の演目を上演するというトチ狂った公演があり、客席も演者も眠すぎてわけがわからなくなるという事態に陥った年もありました。

しかしながら劇場で、好きな役者たちを目の前に、同じ趣味をもった人たちと年越しの瞬間を迎えられるというのは多幸感があります。

推しの仕事納め兼仕事始めの現場に居合わせられ、いち早く新年の抱負も聞けます。最高の空間です。

 

(カウントダウンライブのためだけに作られた楽曲/出演:安西慎太郎、赤澤燈、鳥越裕貴、山崎大輝)

 

其の五『アフターケアもばっちり』

楽しいお祭りが終わってしまうと喪失感で生きる気力を失いがちですよね。いわゆる“ロス”の状態に陥ります。

しかしながらるひまさんはそんなヲタクたちの心のケアを忘れません。

公演後の割と早い段階で劇中の名場面やショータイムの映像を配信してくれます。

ヲタクたちは「るひま仕事早い」と口々に賞賛しながらロス緩和にいそしみます。

そして春先には上映会も開催されます。

年末公演やカウントダウン公演の様子をスクリーン上映する機会を設けてくれるんです。

しかもただ本編を上映するだけではないのがるひまクオリティ。

当然のように出演していた役者陣数名がゲスト登壇します。

そしてなんと本編の数年後の話やスピンオフ作品を、書き下ろしの朗読劇で披露してくれたりします。

通常ヲタクの脳内で繰り広げられるに留まるであろうアフターエピソードを公式が教えてくれるという……そんなことってある!?

他にも出演者がその場でコメンタリーを喋りながら一緒に見る回もあったりと、上映会と言えど満足する試みがたくさん用意されています。

 

其の六『ブログが癒し』

るひまには“るーちゃん”というマスコットキャラがいます。

“るーちゃん”が書いている(という体の)ブログも存在します。

そのるーちゃんブログがまあ~~~サービスの行き届いていること行き届いていること。

ビジュアル撮影時から稽古中、公演期間中にかけて出演者たちの様子を写真付きで伝えてくれます。

貴重なオフショットや、稽古の合間の出演者たちの会話の様子、ほっこりエピソードなど、楽しそうな様子を教えてくれる貴重な情報源です。

全公演終了後にも、公演を振り返るような記事を掲載してくれたり、上映会で上演された朗読劇の内容なども公開されます。

ヲタクの気持ちに寄り添い、ヲタクの欲しがる情報を与えてくれる、るーちゃんブログはなくてはならない存在の一つです。

ちなみに公演期間中にはるーちゃんの着ぐるみが劇場内を歩いているので写真も撮れます。とってもかわいい。


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其の七『DVDが凄まじい』

るひまの舞台はDVD化されることが多いです。祭シリーズやカウントダウンイベントもほぼDVD化されています。

るひまという会社はとにかくヲタクの要望を聞き、可能な限り実現してくれるという、ヲタクの期待に応えすぎる節のある制作会社です。

DVDの映像特典としてバックステージ映像は豊富に入れてくれるし、ユニット曲のPVや上映イベントの様子までつけてくれます。

しかしながらヲタクの欲望は尽きることがありません。「公演ごとの日替わりパートも入れてほしい」「バスツアーの様子が知りたい」「PVのメイキングも見たい」……アンケートやTwitter上では好き勝手な要望が飛び交います。「お金ならいくらでも出すから」と。

なんとるひまさん、全部叶えてくれちゃいました。特典映像だけで4時間越え。頭おかしいんじゃないかと思ってます。(褒め言葉)

しかも金額だって2.5次元舞台の物と比較するとそこまで高くありません。諭吉をちょっと超えるくらいです。良心的すぎます。この会社大丈夫なの?って心配になるレベルです。

痒い所に手の届きすぎる制作会社、それがる・ひまわり。一生ついていきたい。

 

ざっと思い付いただけでも推せるポイントがこれだけあります。

他にもフライヤーの写真が毎回本編と関係ないコスプレで意味がわからないとか、パンフの写真が綺麗すぎるとか、明治座とコラボした食事メニューが豊富だとか、いいところがいっぱいあります。

デメリットを上げるとするならば公演数が少なすぎてチケットが取れないことと、湯水のようにお金を使ってしまうことくらいでしょうか。

るひまの祭シリーズに推しが出ることになるかもしれない皆さん、チケ取りでは共に戦い、年末年始は全力で楽しみましょうね。

ここまで読んで下さりありがとうございました。少しでも「推しにもるひま出てほしい!」と思っていただけたら書いた甲斐があります。

るひまファンが増え、るひまが潤い、るひまがまた面白い作品を生み出してくれることを願っています。

 

不遇を嘆く地方人、お金のかかる都会人。

“地方のヲタクが不遇だと思うなら上京すればいい。仕事だって転職すればいい。その環境に身を置くことを選んでいるのは自分自身なのだから、地方住まいを理由に都内の優遇を妬んだり嘆いたりするのはお門違いだ。”

 

というような内容のツイートを、もう何年も前のジャニヲタ時代に見かけたことがある。

おそらく「都内ばかりでイベントがあって狡い」「日程が出るのが急すぎて地方民のことを考えていない」などの不平不満に一石を投じるツイートだったと思う。

家庭を持っている人などは自分だけの選択で住む場所をどうこうできるわけではないが、その時田舎で実家暮らしをしていた私は確かにぐうの音も出ないなと納得した。

その後上京を決める際に背中を押す言葉として自分の中に印象深く残った。

 

都内で突発的にイベントが行われたり、日程の発表がギリギリになるというのは、実際に地方民のことなど想定されていないからにほかならないと思う。

そういった条件下でも集まれる人を対象に催されているのであろうし、それだけでも十分に集客が見込めるからそのような対応になるのであろう。

これが集客も見込めず、地方から足を運んでくれるお客さんも喉から手が出るほどほしいと切羽詰まっているのであれば、きちんとそれなりの対応をしてくれるはずだ。

ファンは簡単に「地方にも来てください」と言うが、それだって利益が出るか出ないかの話だ。慈善事業ではないのだから赤字を出してまで地方に行くことはないだろう。

それを不遇だ、蔑ろにされていると感じるのであれば、自分自身が便利な場所へ越してみるほかにない。

 

そうして私自身上京し一人暮らしを始めてみて実感したのは、やはり家賃や水道光熱費などもろもろにお金がかかるということだ。

確かに突発的な都内の催しなどにスケジュールを合わせやすくはなったが、実家暮らしをしていた頃のように地方へ遠征する金銭的余裕はなくなった。実家からの交通費や宿泊費よりも、家賃などの方が高くついているのだろう。

また、憧れていた仕事帰りに観劇というのもなかなか難しかった。劇場の場所によっては定時退社でも間に合わないし、何より仕事終わりに観る舞台は集中力が欠けて普段より楽しめないと実感した。

舞台やコンサートの日程に合わせて休みを取り、ホテルを予約し、当日はその地域の美味しいものを食べたり観光も満喫できていた実家暮らしの頃の方が、目的以外の出来事も含めて濃密な思い出になっていた気がする。

勿論、思い立った舞台にふらりと足を運べたり、都内暮らしの方が何かとフットワーク軽く動けることには違いない。それでもお金は有限なのだから選べる舞台は限られてくる。

地方も都内も、どちらにも善し悪しがあって、自分がどちらを選ぶかにすぎないことがよくわかった。

 

私は家の事情でこれからまた田舎へ戻ることになるかもしれない。

そうなったときはきっと、都内で行われるイベントを羨んだり、日程発表の遅さにやきもきさせられるのであろう。

しかしもう「都会は狡い」と一方的に妬んだり「地方を馬鹿にしてる」と怒り狂うことはないはずだ。

都内暮らしを経験したことで少し視野を広く持てるようになり、今後のヲタク人生にプラスになった気がしている。

 

 

イベントレポは悪なのか?

 

戦国鍋TVで人気を博し、現在はミュージカルでの活躍が目覚ましい平方元基さんの一つのツイートが波紋を呼んでいる。

 

 

“ファンクラブに入ってくださって、たくさんの時間や労力をかけてその場に足を運んでくださる方たちもいる中で、アフタートークなどの内容を他の場所にさらされるのは僕としてはなんか、悲しいです。もちろん楽しいことは共有したいですが、元基組だから話したい、話そうと思うこともあるわけで…”

 

私はこのツイートを目にし、単純に「レポを嫌がる俳優さんもいるのか」と目から鱗が落ちた。

これまでアイドルや若手俳優等のイベントに数多く参加してきたが、そのトーク内容や掛け合いをTwitter等のSNSに流す、いわゆる“レポ”と呼ばれる行為は当たり前に存在した。
レポをする理由には様々あると思うが、私の場合まずは備忘録の意味合いが強い。人によっては、行けなかった他のファンにも共有したいという思いや、沢山の人に魅力を広めたいという気持ちもあるだろう。少なくとも悪意をもってレポしている人など見たことがない。
トーク中に出演者が「今の発言はTwitterに流さないで!」と冗談まじりに言う場面もあったが、そういう場合に限り内容を伏せる配慮が要るくらいであろう。

逆にハッシュタグをつけて拡散してくれ!と言われることすらある。

だからとにかく、平方さんのこの呟きは価値観を大きく揺るがすものとなった。

 

そして他の方のツイートを拝見するうち、以下のことが判明した。
・アフタートークは有料FC限定で行われたものだった
・同行者はFC非会員でも参加可能だった
・事前にトーク内容口外禁止等のアナウンスはなかった

FC会員以外も参加可能で、口外禁止されていなければ、レポする人が出てきてもおかしくないのでは?というのが正直な感想だ。
SNSが盛んなこのご時世、上記のようにレポが当たり前に存在する畑に身を置く人間であれば、会員イベントであろうとなんだろうと普段通りに書き記してもなんらおかしくない。

 

しかし、平方さんの当該ツイートに対するリプライを見ていて衝撃を受けることとなる。
多数の人が「それはマナー違反だ」「マナーを守って参加してほしい」「元基くんよくぞ言ってくれた」と同調しているではないか。
そこで私は初めて違和感を覚えた。俳優を悲しませたくない気持ちはわかるが、果たして「イベントのレポ自体はマナー違反なのか?」と。
普段事細かにレポを落としている身としては他人事ではない。慌てて他の方の意見を探した。
そうして調べているうちに一つ気付くことがあった。
ミュージカル俳優界隈では、口外禁止のFCイベントが割と主流であるという事実だ。
それ故に、ファンの間にも“有料イベントの内容は口外しないのがベター”という共通認識があるらしい。
そこでようやく合点がいった。
とはいえ、それは界隈の外にいたら知りようのない空気感だ。

 

たとえば、最近平方さんに興味を持ったばかりの人が今回初めてイベントに参加したとする。とても楽しいイベントだったから、これまでと同じようにレポをツイートした。すると、平方さんから今回のような発言を受け、他のファンにマナー違反だと糾弾された……。ミュージカル界隈に足を踏み入れたばかりのその人は、どう感じるであろう。
私だったら、悲しくて恥ずかしくて居た堪れなくて、もう平方さんのファンになるのはやめようと思ってしまう気がする。ミュージカル界隈は難しいと、ジャンル自体から距離を置いてしまうかもしれない。
無知は罪だ、調べなかった方が悪い、と言う人もいるかもしれない。しかし、同じ俳優畑に居てすら気付く機会のなかったローカルマナーだ。まずレポをしてはいけないという発想自体が存在しない。

 

話は飛ぶが、私は“出待ち”というものの良さがあまり理解できない。
たとえ公式で認められ、ルールが定められているものだったとしても、だ。
舞台上と客席という隔たりのある空間以外で出演者に会おうとするのはおこがましい気がしてしまうし、お給料の発生していないであろう終演後にファンと交流させてしまうことに申し訳なさを感じるからだ。
だからと言って、公式で認められていることを否定するつもりはないし、ミュージカルや宝塚の世界で見受けられるそれらはむしろ素敵な文化だと思っている。
同列に語るのはおかしいかもしれないが、禁止されていないイベントのレポをすることに対しても、理解はできなくとも一概に否定しないでもらえないものだろうか。
身を置く畑によって常識もマナーも違う。さらに、一人一人持っている価値観だって違う。
公式のルールで定められていないことに対して「マナー違反だ」と声を上げることは、価値観の押し付けにすぎないと私は考えている。

 

今回の平方さんの対応については、イベントの事前でも事後でも構わないのできちんと公式から「イベント内容の口外禁止」とアナウンスすべきであったと思う。
そうすれば不要な論争を生まずに済んだし、悲しむ人も出なかったのではないだろうか。
今後ルール化されることを切に願う。

 

 

【追記】

念のために言及しておきますが、当記事に平方さんが「悲しい」と感じた気持ちを否定する意図はありません。

ファンの間で「元基くんはレポを悲しむタイプだから控えようね」と教え合って済むのなら勿論それが最善だと思います。ご本人の心情は尊重されて然るべきでしょう。

ただ、今回既に「レポはマナー違反だ!」という極端な主張が散見されたため、このままではレポ文化自体が迫害されかねないという危機感を覚えブログにしたためた次第です。

ご自身も「僕としては」と前置きされていますし、個人的に正直な感情を吐露したにすぎないとわかってはいますが、なにせ立場上どうしたって影響力があります。

火種になるのが目に見えているのだから、そうなる前にFC側が本人の意向を汲んで何かしらの対応をするべきではないか、という話でした。

また、全てのイベントに対して一律ルール化してほしい訳では勿論ありません。

あくまで出演者が口外を怪訝に思う場合においては、という意味合いです。

『絵本合法衢』@あうるすぽっと

せっかくブログを作ったことだしDVDも発売になったのでこの作品について記しておきたいと思う。 

 

 

私は最初この公演を観に行くつもりがなかった。

劇団ひまわり系列事務所の若手を集めた公演だと知っていたし、きっとファンサービス要素の多いミーハー興行だろうとタカを括っていたのだ。(観る前からレッテルを貼るなど今となっては恥ずかしい話であるが。)

しかしゲネプロが終わった辺りからTwitterに流れ始めた演劇ライター陣のツイートの様子がおかしい。絶賛に次ぐ絶賛。半ば放心したような感想が並ぶのを目にし、これはただごとではないぞと慌ててチケットを手配した。

 

そしていざ観劇。とんでもないものを観てしまったと震える。

以下ネタバレを含むためこれから初めてDVDを見る方は回避推奨。

 

まずはよくぞこの演目を若手の役者にやらせてくれたと関係各所に拍手を送りたい。

全編がっつり古語で展開される本格時代劇。アドリブでのおふざけシーンでほっと息をつける瞬間もあるけれど、大半は息を詰めて大真面目な芝居にのめり込まされた。

客層だって若い女性がほとんどで内容も難しかったと思う。かく言う私も台詞の9割近く何を言っているのか理解できなかった。

それでも伝わってくるのだ。演者の言い回し、表情、所作、熱量から、今がどういう場面でこの人たちがどういう関係性でどういう感情から言葉を発しているのか見ていればわかってしまう。

これは演劇の本質的な面白さではないかと感じた。歌舞伎やその他伝統芸能、あるいはブロードウェイミュージカル等を(私はきちんと見たことがないけれど)、言葉はわからなくても面白がれるのがエンターテインメントや芸術なのだと実感できた。

あの難しい言い回しに感情を乗せられるまで見事言葉を操ってみせた役者の皆さんには脱帽する。まだ若いのに…というのも失礼なくらいプロフェショナルな集団だと再認識させられた。

 

そして会場に入った瞬間目を見張る、本来楽屋にあるはずの鏡台が存在感を示す舞台美術が衝撃だった。

役者たちはそれぞれ鏡前で化粧をし、水分を補給し、時には談笑し、次のシーンの衣装に着替えてスタンバイをし、終演後にはまた鏡前に戻っていく。それがすべて舞台上で行われているのだから気が気じゃない。

まるで歌舞伎を上演する役者たちをさらに演じているのを眺めるような、強制的に一歩引いて俯瞰させられるような心地を覚えた。劇場で観るよりも、視界の狭まるDVDで見た方が物語自体に入り込めたほどだ。

斬新さで言えば演者によるドラム演奏もある。今回出演している役者はそれぞれ善人・悪人・女形の3役をこなしているが、唯一佐藤流司だけが善人役とドラム演奏を担当している。というのもこのドラム、悪人が悪事を働くときに激しく打ち鳴らされるのだ。悪人を兼役していない佐藤が演奏することに意味がある。

ドラムの他にも悪人の衣装に洋装が取り入れられたりと、現代的な要素はいたるところに散りばめられている。それでいて善人の活躍にはツケが鳴らされ、役者は見栄を切り…といった歌舞伎の要素も満載だ。この和洋折衷、古典と現代的要素の融合が絶妙の塩梅で、目にも耳にも楽しく新鮮な感動を与えてくれた。

 

個人的に心を奪われたのは鳥越裕貴演じる悪人・太平次だ。

彼にこんな引き出しがあったのかと胸の動悸が治まらず、客席で昇天しかけた。

太平次には色気があり、時に甘えたような愛らしさも覗かせ、何よりずっと淋しさを漂わせていた。

悪人でありながら憎み切れない、母性本能をくすぐる狡い色男だった。

鳥越裕貴という役者の持つ低めの掠れ声がいい味となり、太平次に30代・40代くらいの男の貫禄と色気をもたらしていた。彼自身の小柄で可愛らしい印象は嘘のようになりを潜めるのだから驚嘆する。

オープニングの懐中電灯を顔に当てる場面で既に、太平次という役が凝縮して表されていたように思う。悪い顔の後にふっと切り替わる、あの淋しげで虚ろな表情をしっかりと映してくれたDVDの編集者に賛辞を贈りたい。

太平次は血に染まる掌を汚いものとし嫌悪する。悪に手を染め、富を手にしながらも、本当は心の淋しさを埋めることが何よりの望みであるように映った。

歌舞伎でも演じられていないという太平次の最期は、鳥越の太平次だからこそのものになったのではないだろうか。『舞台男子』*1のインタビューの中で語られた、太平次の「俺は淋しいんだ」という台詞は演出の丸尾氏が足してくれたというエピソードからも窺える。

“悪”一辺倒ではない、どこか可哀想な人間らしい太平次を最期まで見事に生き抜いて魅せた。どうかあの世でも色男らしく、先に逝った女たちと痴話喧嘩を繰り広げてほしいものだと夢想してしまう。

 

物語は佐藤流司演じる合法が仇討ちを果たすことで終幕となる。

上演題目でもある役名を背負った彼の気迫は凄まじく、最後の大立ち回りなど暗転するまでまばたきを許さない。こと切れる瞬間は特に必見だ。

ショー用に見目麗しく演出された殺陣とは異なる、泥臭く生々しい、まさに人を殺すための殺陣がこの作品の見どころの一つだと思うが、一番の見せ場である最後の立ち回りは手に汗握るものがあった。

観客の気持ちを最後まで運び切った合法、文句なしに天晴れである。

 

他にもうんざりお松の可愛らしさや、俊行のバカ殿っぷりから智将への切り替え、登場する女性たちの強かさなど、魅力的な部分はたくさんあるけれど長くなるため割愛。

こんなに面白い舞台をスルーしてしまわず本当によかった。公演は結局2回行ったし、今年観て良かった舞台暫定1位に君臨している。

こういう想定外の出会いがあるから観劇は辞められないのだと、改めて思い知らされる作品となった。